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原晋の経歴プロフィールがスゴい!高校・大学とサラリーマンから監督

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箱根駅伝に11年連続出場している青山学院大学。

さらに2016年、2017年、2018年と箱根駅伝は3連覇。

いまのところぶっちぎりで敵なしの強すぎる青山学院大学です。

 

強みは選手層も厚さで「出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の3冠」も達成しています。

 

そんな青山学院大学をここまで強くしたのは、原晋(はら すすむ)監督。

選手の力も大きいですが、やはり原晋監督の指導力あっての強豪チームです。

 

じつは青山学院大学は、以前は優勝から遠ざかっていたチーム。

一時は廃部の危機まで陥っていたときもあったぐらいです。

 

そういう厳しい状況だった青山学院大学をここまで建て直した原晋監督の功績を非常に大きいですね。

ただここまでチームを強くするには、ただならぬ苦労があったのです。

 

「原晋監督の経歴やプロフィールが知りたい」

「原晋監督の高校や大学時代は?」

「原晋監督ってサラリーマンから監督になったらしい」

 

そうですよね!

ここまで青山学院大学を強くした原晋監督がどんな方なのか、いろいろ興味がありますよね!

しかもサラリーマンから青山学院大学の駅伝の監督になった話とか知りたいです!

 

そこで今回は「原晋監督の経歴プロフィール、高校・大学と、サラリーマンから監督になった話」についてお伝えします。

 

この記事を読むことによって、原晋監督のことをくわしく知ることができますよ!

それでは行ってみましょう!

 

 

原晋監督の経歴プロフィールがスゴい!高校と大学は?

まずはじめに原晋監督の簡単なプロフィールからお伝えします。

 

原晋1

(引用:インスタグラム)

 

原晋(はら すすむ)

  • 1967年3月8日生まれ
  • 出身地 広島県三原市
  • 身長 176cm
  • 体重 81kg

 

原晋監督は幼い頃は野球をやっていて、運動神経がかなり良かったとのこと。

そして中学1年生のときに全校生徒が出る学校でのマラソン大会で優勝!

スゴいですね!

 

その後、原晋監督は広島県にある世羅高校に進学。

世羅高校は駅伝の強豪でもあります。

 

そして原晋監督は世羅高校で3年生のときに主将となり、全国駅伝大会で全国2位!

チームの柱となって活躍しました。

 

原晋監督は高校卒業した後、世羅高校のOBが陸上部の監督をしている中京大学に進学。

なので大学駅伝には出場していないんですね。

ちょっと意外です。

 

大学を卒業した原晋監督は、中国電力の陸上競技部に進み、のちに主将になりました。

そして全日本実業団駅伝にも初出場!

 

ところが・・・

原晋監督は故障が原因で1995年に陸上競技部を引退することになったのです。

そして中国電力の普通の社員としてサラリーマン生活を送ることに。

波乱万丈ですね。

 

ただ原晋監督は社員としても抜群の成績を残しました。

営業成績も社内で一番になるほどの実績!

 

さらに新規事業の立ち上げメンバーに選ばれて、その会社は社員100名以上の規模まで成長。

ビジネスマンとしても優秀な成績を残したんです。

 

そんなサラリーマン生活を10年間送っていた原晋監督に、突然転機が訪れました。

「青山学院大学の駅伝チームの監督」のオファーです。

 

この突然の監督依頼に、原晋監督は悩みました。

  • 大学時代に箱根駅伝とかの出走経験がない
  • 青山学院大学のOBでもない
  • 10年間も陸上の世界から遠ざかっている

こんな状態の自分に駅伝チームの監督なんてできるのだろうか・・・?

 

ただそんな原晋監督を強烈に後押ししたのが、母校である世羅高校の後輩であり青山学院大学のOBでした。

結局原晋監督は1年半も悩んだ結果、青山学院大学の駅伝チームの監督を引き受けます。

 

原晋監督はサラリーマンから監督へ

原晋監督は順調だったサラリーマン生活を捨てて、青山学院大学の駅伝の監督に就任。

人生をかけた新しい出発でしたが、最初は苦労の連続でした。

 

当時の青山学院大学の陸上部は、そんな強豪ではなく部員も練習をさぼりがち。

強化合宿をやっても門限は守らず、酒ばかり飲んでいる状態。

とても箱根駅伝に出るようなチームではなかったのです。

 

原晋監督が青山学院大学に来たときの当初の目標はつぎの通り。

「3年間で箱根駅伝に出場する」

 

ところが・・・監督就任3年目の箱根駅伝は予選落ちという結果。。。

これによって青山学院大学の駅伝チームは廃部寸前の危機まで行ったのです。

 

でも原晋監督は諦めませんでした。

 

10年間のサラリーマン生活を捨てて、青山学院大学の監督になったからには「必ず箱根駅伝で優勝する」という目標があったのです。

 

原晋3

(引用:インスタグラムより)

 

そして原晋監督は年々、少しずつチームを立て直していきます。

その結果、2009年についに箱根駅伝に出場!

青山学院大学が箱根駅伝にいるのは33年ぶりのことでした。

 

さらに翌年2010年には箱根駅伝で8位になり、シード権も獲得。

 

そしてついに・・・

2015年に青山学院大学は優勝!

原晋監督の長年の夢が叶ったのです。

 

素晴らしいエピソードですね。

 

原晋2

 

この原晋監督の話は、青山学院大学が優勝、2連覇、3連覇・・・と総合優勝を重ねるたびに語られる伝説となってきました。

まさに人材を育成して目標を達成するリーダーとして抜群の逸材だったんですね!

 

 

まとめ

原晋監督の経歴プロフィール、高校・大学と、サラリーマンから監督になった話についてお伝えしました。

青山学院大学の駅伝チームを長年かけて立て直した原晋監督。

ゼロからのスタートでいろいろな苦労があったことでしょう。

原晋監督の今後の活躍を応援していきたいと思います!

 

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