車椅子のラグビーで日本代表を務めている池透暢(いけ ゆきのぶ)選手。
池透暢選手は左足を失い車椅子の生活を送りながら、ラグビーをやっています。
池透暢選手が左足を失ってしまった過去の事故原因は何だったのでしょうか?
池透暢選手の経歴やプロフィールについても気になりますね。
そこで今回は「池透暢選手の事故原因や、壮絶な過去と経歴プロフィール」についてお伝えします。
池透暢選手が車椅子の生活を送りながら、ラグビーをやることになった壮絶な過去のエピソードを紹介します。
それでは行ってみましょう!
池透暢選手の事故原因は?
池透暢選手が左足を失う原因となった事故が起きたのは19歳のとき。
池透暢選手は交通事故が原因で、車椅子の生活を送ることになったのです。
当時、池透暢選手は友人4人と一緒に車でドライブをしていました。
ところが5人を乗せた車が、交通事故で街路樹に衝突。
池透暢選手と友人4人を乗せた車は、衝突とともに大炎上してしまいます。
かなりの大事故だったんでしょう。
池透暢選手は炎上している車から、誰かに助けられて車外に出ることができたので、全身に火傷を負いながらも何とか助かることができました。
ただ炎上している車に閉じ込められてしまった友人3人は、衝突による衝撃と炎の中で逃げることができず、命を失ってしまうことに。
池透暢選手自身も命は助かったのですが、全身70%の火傷を負う重症。
さらに左腕の神経も損傷してしまい、自由に動かすことができなくなってしまいました。
そして左足の火傷がかなりヒドかったので、左足を切断することに・・・。
このときから車椅子の生活がはじまったのです。

(引用:Instagram)
その後、池透暢選手は火傷による皮膚の損傷を治すために、2年半の間に約40回にも及ぶ手術をして、背中などの皮膚を移植しました。
池透暢選手のユニホーム姿の写真を見ると、肩や首に当時の痛々しいヤケドの跡が残っています。
ただ池透暢選手にとって、本当に辛かったのは友人3人を失ってしまったこと。
一瞬の事故によって大切な3人の命が無くなってしまったことが、何よりも辛かったのです。
そこで池透暢選手は
「失ってしまった大切な友人の命の分までがんばって、生きた証を残したい」
という決意をして車椅子のラグビー(ウィルチェアーラグビー)をはじめたのです。
池透暢選手の原動力には、こんな壮絶なエピソードがあったんですね。
とても勇気づけられます。
池透暢選手のプロフィール
池透暢選手のプロフィールを紹介します。

(引用:Instagram)
池 透暢(いけ ゆきのぶ)
- 1980年7月21日生まれ
- 高知県出身
- 家族:妻、息子2人
- 職業:庭園デザイナー
- 所属チーム:Freedom(高知)
- ウィルチェアーラグビー・3.0クラス
19歳のときに左足を切断することになった池透暢選手。
中学時代にバスケットボールをやっていたので、入院中に車椅子のバスケットボールを勧められました。
それをきっかけに最初は車椅子のバスケットボールを始めます。
ただ池透暢選手は2012年ロンドンパラリンピックの日本代表に選ばれず・・・。
その後、2012年にロンドンで行われたパラリンピックのウィルチェアーラグビーを観たことをきっかけに、池透暢選手は車椅子ラグビーに転向。
翌年の2013年から日本代表の合宿に参加して、主力選手として活躍するようになりました。
左足を失い、全身火傷の重傷を負いながらも、前向きにチャレンジする姿が男前ですね。
また、池透暢選手には奥さんと男の子のお子さんが2人います。
池透暢選手の活躍を子供たちも応援してくれているそうです。
子供たちの笑顔が一番の活力になりますね!
カッコいいお父さんです。
池透暢選手の経歴
池透暢選手は車椅子のバスケットボールから車椅子のラグビーに転向して、日興アセットマネジメント株式会社のFreedomに所属。
2014年から日本代表チームのキャプテンを務めます。
そして2016年に行われたリオデジャネイロのパラリンピックで史上初のウィルチェアーラグビーでの銅メダルを獲得。
さらに2018年8月にはウィルチェアーラグビー世界選手権で金メダルを獲得しました。

(引用:Instagram)
池透暢選手の強みはつぎの2つです。
池透暢選手の強み
- 車椅子バスケットボールで鍛えられた車椅子の操作技術
- 強力な右腕から出てくる正確なロングパス
左腕の動きを失っている池透暢選手は、右腕を徹底的に鍛えています。
残された右腕を強化して、自分の強みにしてしまうところが素晴らしいですね!
その後、池透暢選手はアメリカのアラバマ州バーミンガムのウィルチェアーラグビークラブチームに所属して、さらに技術を習得。
2019年3月まで米国リーグでプレーしていました。
車椅子ラグビーってどんなラグビー
ところで車椅子ラグビー(ウィルチェアーラグビー)ってどんな競技なんでしょうか?
ちなみにウィルチェアーラグビー(wheelchair rugby)のウィルチェアー(wheelchair)は、日本語で「車椅子」のこと。
もともと車椅子ラグビーはカナダではじまったスポーツです。
パラリンピックの正式種目になったのは2000年のシドニーパラリンピックから。
車椅子でありながら相手に「タックル」するので、想像するだけでも激しい競技ですね。
実際に車椅子の競技の中でも、衝突の激しいスポーツで、「マーダーボール(Murderbal:殺人球技)」って言われています。
まさに格闘技の世界です。
日本の車椅子ラグビーは、世界ランク3位です。
車椅子ラグビーは1チーム4人制のラグビーで、屋外のグラウンドではなく、屋内のバスケットボールコートで行われます。

(引用:Instagram)
もともと車椅子のバスケットボールをやっていた池透暢選手にとっては、入りやすいスポーツだったのでしょう。
ただ車椅子ラグビーは想像の通り、車椅子同士が激しくぶつかり合います。
衝撃で車椅子と選手が吹っ飛んでしまうこともあります。
マジで格闘技ですね。
池透暢選手の東京パラリンピックへ向けて
前回のリオデジャネイロのパラリンピックで銅メダルを獲得した池透暢選手キャプテンの日本代表チーム。
2020年の東京パラリンピックでのメダルが期待されます。

(引用:Instagram)
池透暢選手は亡くなった3人の友人の命を背負って戦うことについて、つぎのように話しています。
「生かされた自分が“生きる証”を残したい」
熱い想いを抱いている池透暢選手の活躍が期待されます。
キャプテンの池透暢選手自身も
「2020年の東京パラリンピックで金メダルを取る準備を進めていきたい」
と話しています。
まとめ
池透暢選手が左足を切断した事故原因や、壮絶な過去と経歴プロフィールについてお伝えしました。
思わぬ事故によって失ってしまった左足と、3人の友人。
そこから「生きる証」を残したいっていう池透暢選手の想いに心が動かされますね。
車椅子ラグビーのような激しいスポーツに挑戦していく池透暢選手の精神力の強さに脱帽です。
子供たちにとってもカッコいいお父さんなんでしょうね。
池透暢選手の今後のご活躍と、東京パラリンピックでの健闘を応援していきたいと思います!