いきなりステーキの社長である一瀬邦夫さんの経歴や学歴を紹介します!
一瀬邦夫さんの長年の苦労から生まれた数々のすばらしい名言もお伝えしますね。
あと一瀬邦夫さんの年収も気になるところです。
今回は「いきなりステーキ社長の一瀬邦夫さんの経歴や学歴、年収や名言」について紹介します。
それでは行ってみましょう!
一瀬邦夫(いきなりステーキ社長)の経歴やプロフィールは?
一瀬邦夫さんの簡単なプロフィールを紹介します。
一瀬邦夫(いちのせ くにお)
生年月日 1942年10月2日
出身 静岡県静岡市
一瀬邦夫さんは、いまでこそ有名なチェーン店「いきなりステーキ」を全国展開しているけど、かなり波乱万丈な人生を送ってきています。
静岡で生まれ育った一瀬邦夫さんは地元の高校を卒業した後、コックを目指して洋食屋に就職します。
東京の浅草にある洋食屋「キッチン ナポリ」です。
その後さらにコックとしての腕を磨くために上野のレストラン「聚楽台」でも修行。
さらに「山王ホテル」でホテル料理人のキャリアも積みます。
山王ホテルは、当時赤坂にあった東京を代表するホテルで、帝国ホテルや第一ホテルと並ぶ一流ホテルでした。
一瀬邦夫さんはこのようにコックとしての腕前を磨き、28歳のときに独立。
1970年に自分のレストラン「キッチンくに」を東京の向島にオープンしたのです。
これが後の「ペッパーフードサービス」になっていきます。
上野のレストラン「聚楽台」「山王ホテル」でコックとして修業
1970年 座席数12席の小さなレストラン「キッチンくに」をオープン
1985年 有限会社くに設立
1994年 「ペッパーランチ」一号店をオープン
1995年 株式会社(現株式会社ペッパーフードサービス)に組織変更
2016年 Kuni’s Corporation Directorに就任
ペッパーフードサービスは現在地上31階建ての高層タワービルの17階にオフィスを構える大企業。
社員数は1,000人近くまでなり、全国のパートやアルバイトを含めると7,000人以上。
ペッパーフードサービスは、今でこそ一部上場企業で有名になったけど、一瀬邦夫さんの社長人生はかなり波乱万丈なものでした。
一瀬邦夫さんはこれまでの経営で度々のピンチを経験しています。
最初のピンチは独立してはじめたレストラン「キッチンくに」です。
「キッチンくに」の店舗をつぎつぎと増やし4店舗を出店。
ところが資金繰りが無計画だったので、借金が増えて経営難に。
さらに「ペッパーランチ」を出店したときも。あまりにも急速に店舗を増やしすぎたため資金繰りが苦しくなって倒産寸前に。
一瀬邦夫さんの企業経営は簡単なものではなかったようです。
一瀬邦夫(いきなりステーキ社長)の経歴の中で危機的状況その1
一瀬邦夫さんのペッパーランチの経営はさらに危機的な状況に落ちていきます。
その一番大きなピンチは狂牛病の騒ぎでした。
2001年にマスコミで
日本でBSE(狂牛病)に感染した牛が発見された
という報道をされたことから、牛肉に対する風評被害をモロに受けたんですね。
当時、牛肉は危険だという風評が広がってペッパーランチの売り上げは激減。
でもそこで一瀬邦夫さんの打った策がスゴかった!
なんと、社長である一瀬邦夫さんが自分でパソコンで打った張り紙を「ペッパーランチ」の各店舗に貼って回ったんです。
その貼り紙の内容がこちら。
「お願い 助けてください このままでは本当に困ります 美味しく安心な米国産のお肉です 食べに来てください」
マジでこの根性がスゴいですよね!
社長自ら行動をしているところが心を打たれます。
中には
「イメージダウンになるのでは」
と心配する声もあったようです。
でも社長自らが作った貼り紙がマスコミに取り上げられて、逆にそれが追い風に。
さらに厚生労働省と農林水産省が「安全宣言」を行ったので、狂牛病の風評被害は落ち着いていきました。
一瀬邦夫(いきなりステーキ社長)の経歴の中で危機的状況その2
狂牛病騒ぎを乗り越えた一瀬邦夫さんに訪れたピンチの2つ目は、2007年に起きた女性客暴行事件です。
大阪にあった「ペッパーランチ心斎橋店」で信じられないような事件が起きました。
当時、お客さんがある女性客一人きりになった店内で、店長と店員がグルになって女性客に暴行したのです。
事件の経緯
突然店のシャッターを閉め、スタンガンで女性客を脅しながら睡眠薬を飲ませる店長と店員。
睡眠薬を飲まされて眠ってしまった女性客を大阪府南部の泉佐野市に拉致。
そして車庫で監禁して性的暴行を加えた。
これはマズいですよね。
かなり悪質な犯罪です。
これによってペッパーランチ心斎橋店は閉店。
さらにペッパーランチの評判はかなり悪くなり客も激減。
しかもその2年後の2009年には売れ筋人気商品の「角切りステーキ」で、大腸菌O-157による食中毒が発生。
完全にダメ出しの不祥事が続いて、経営難に陥ったのです。
そんな状況にも関わらず、一瀬邦夫さんは諦めずにチャレンジし続けて、現在の「いきなりステーキ」を展開。
再度ブレークを果たします。
一瀬邦夫さん、底力がハンパないですね!
一瀬邦夫(いきなりステーキ社長)の学歴
一瀬邦夫さんの最終学歴は高校卒で、大学には進学していません。
卒業した高校は東京都内の「日の出高校」です。
「日の出高校」は芸能人も多く通っている高校で有名ですね。
一部上場企業の社長なので
「一流大学を卒業したのかな?」
って思っていた人もいますよね。
・・・・・
一瀬邦夫さんの学歴を語るには、じつは一瀬邦夫さんの生まれ育った環境が関係しているのです。
一瀬邦夫さんは1942年に生まれ、母子家庭で育ちました。
母親一人で一瀬邦夫さんは育てられたんですね。
しかも母親は病弱で寝込むこともあり、一瀬邦夫さんは中学時代から新聞配達や牛乳配達のアルバイトをやって家計を助けていました。
かなりお金に苦労して育ったんでしょう。
また病弱な母親のために、一瀬邦夫さんが食事の準備をすることもありました。
母親は、息子である一瀬邦夫さんが作った料理をとても喜んで食べたそうです。
一瀬邦夫さんは、母親が笑顔で喜んで自分の料理を食べてくれることが楽しみで、そこから料理を作る楽しみを感じはじめたのかもしれないですね。
一瀬邦夫(いきなりステーキ社長)の気になる年収
一瀬邦夫さんの年収はいったいいくらぐらいなんでしょうか?
気になりますね。
株式会社ペッパーフードサービスの2019年3月に発表になった有価証券報告書(2018年1月1日~2018年12月31日)を見てみましょう。
有価証券報告書には「連結報酬が総額1億円以上の者」が公開されます。
それを見てみると・・・
なんと!
一瀬邦夫さんの年収は1億1754万円!!
出た~!億越え!!
さすが一部上場企業の社長。
これまで築き上げてきた苦労がすべて実になったからこそ、これだけの年収がもらえるわけですね。
中学時代から生活が苦しくて新聞配達をやっていた少年が、年収1億円を超えるプレイヤーになれるなんて、夢のある話ですね!
一瀬邦夫(いきなりステーキ社長)の名言集が心に響く!
一瀬邦夫さんはこれだけいろいろな苦労を体験してきているので、一瀬邦夫さんから学ぶべき言葉もたくさんあります。
一瀬邦夫さんはこれまで何度もピンチな状況に直面しながらも、なんとか立て直してここまでやってきました。
波乱万丈な人生だけに、一瀬邦夫さん本人の言葉は重みがあって心に響きます。
一瀬邦夫さんの名言を見ていきましょう。
「続けているうちはチャレンジであって、失敗ではない」
「最初から順風満帆なんてありえませんよ。あったらたかが知れている。その人が勝負をかけていないということ。リスクのない成功はない。ピンチの後にチャンスはあるんです」
「商売は、相手に勝たせて自分も勝つ!」
「人が見ていないときの行動は自分の価値を高める。」
「自分のしていることが正しいかどうかは、自分がわかるはず。」
どれもこれも成功者の言葉なので名言に感じます。
「いきなり!ステーキ」の成功は「いきなり」ではなく、地道に積み上げてきた成果だったんですね!
まとめ
いきなりステーキ社長の一瀬邦夫さんの経歴や学歴について紹介しました。
年収は1億円越えだったので、ちょっと驚きました。
また一瀬邦夫さんの人生経験に基づく言葉は一つ一つ重みがありますね。
まさに名言です。
引き続き一瀬邦夫さんご活躍を応援していきたいと思います!