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岩谷産業の広瀬監督の経歴!飯田怜選手も野口みずき選手も棄権させていた

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10月21日に福岡で開催されたプリンセス駅伝。

アクシデントが続出して話題を集めた駅伝でした。

 

とくにレース中に右脚を骨折したにも関わらず、つぎの走者にタスキをつなぐために四つん這いで進んだ飯田怜選手(岩谷産業)。

ひざを血まみれにしながら第3区の走者へタスキを渡し、そのまま病院へ運ばれました。

 

飯田怜選手が四つん這いで進んでいる姿はテレビで生中継され、「監督はなぜ止めなかったんだ!」という声がネット上にたくさんあがりました。

「選手のことを考えたら棄権させるべきだ」という岩谷産業の広瀬監督に対する意見が集中しました。

タスキをつなぐことも大切ですが、選手生命に何かのことがあったら、それこそ一大事ですからね。

 

しかし・・・

大会が終わって一夜明けてみると、じつは岩谷産業の広瀬監督は、「飯田怜選手を止めるように」指示を出していたことが明らかになりました。

 

さすがに選手が四つん這いになっている状態を見て、放っておく監督はいませんよね。

飯田怜選手が走れなくなった姿を見て、見るに見かねてレースを止めるように判断していました。

 

ネット上ではこの話を受けて

「岩谷産業の広瀬監督ってどんな監督なんだ?」

「ホントは飯田怜選手を止めていたらしい」

「広瀬監督は以前、野口みずき選手も棄権させたらしい」

という声がSNSで出ています。

 

たしかにこの広瀬監督って気になりますよね。

しかもあの金メダリストの野口みずき選手も指導していて、棄権させた経験があるほどの監督だったんですね。

 

そこで今回は「岩谷産業の広瀬監督の経歴」について紹介します。

また飯田怜選手を止めさせていた事実、そして野口みずき選手も棄権させた当時の話についてお伝えします。

 

この記事を読むことで岩谷産業の広瀬監督のことを深く理解することができますよ。

 

それでは行ってみましょう!

 

 

岩谷産業の広瀬監督の経歴

岩谷産業の広瀬監督の簡単なプロフィールです。

 

広瀬監督1

 

廣瀬永和(ひろせひさかず)

  • 1965年7月16日生まれの53歳
  • 兵庫県出身
  • 立命館大学卒業
  • 岩谷産業株式会社に勤務

 

陸上競技選手のコーチを務めることができる日本体育協会の「公認スポーツ指導者」の資格を持っています。

コーチや監督の経験は以下の通り。

 

1991年 4月 ワコール 女子陸上競技部 コーチ

1999年 3月 グローバリー 陸上競技部 コーチ

2005年12月 シスメックス 女子陸上競技部 コーチ

2009年 4月 同部 副監督

2010年10月 同部 監督

2013年 4月 同部 総監督

2016年 6月 岩谷産業 陸上競技部 監督


 

素晴らしい指導実績がありますね!

 

現在は日本陸上競技連盟にも所属。

女子長距離・マラソン強化委員としても活動中。

 

そして岩谷産業では監督を務めて、女子駅伝を中心とした中長距離の選手育成を支援しています。

またアテネ五輪で金メダルを取った「野口みずき選手」を育成したコーチでもあります。

 

かなりの指導歴を持ったベテラン監督です。

 

ちなみに広瀬監督は、

「ワコール → グローバリー → シスメックス」

とコーチとして移籍しています。

 

そして野口みずき選手も同様に

「ワコール → グローバリー → シスメックス」

と所属を移籍。

 

それだけ選手からの信頼が厚い監督だったんでしょう!

 

今回飯田怜選手の件でいろいろなことを言われましたが、とても選手を大切にしない監督とは思えませんね。

 

それでは今回話題になった飯田怜選手の件についてお伝えしていきましょう。

 

広瀬監督はじつは飯田怜選手を棄権させていた

飯田怜選手が四つん這いになって進み、第3区の走者にタスキを渡したことについて、レース後にいろいろな意見が出てきました。

ひざを血まみれにしている選手を見て「あそこまでさせなくてもいいだろう」といった声が多くあがったのです。

 

飯田怜選手3

 

実際に飯田怜選手は第2区の残り280mあたりで転倒して右足を骨折。

とても走れる状態ではなく、200m以上を四つん這いで必死になって進み、第3区の走者へタスキをつなぎました。

 

「監督はなぜ止めなかった?」

という疑問がネット上で出ていましたが、じつは広瀬監督は飯田怜選手に「止める」ように指示を出していたのです。

 

箱根駅伝のような大きな大会では、選手の後ろに監督を乗せた車が追いかけていくので、選手になにかトラブルがあった場合はすぐに監督が決断して対応することができます。

 

でもプリンセス駅伝の場合は、選手から離れた監督室で監督は選手の走りを見守っています。

つまり選手の近くで寄り添うことができないんです。

 

実際に飯田怜選手が四つん這いで進み出したとき、広瀬監督は「レース続行は不可能」と判断。

すぐに大会主催者側に「(レースを)やめてくれ!」と指示を出しています。

 

でもその監督の中止の指示がコース上の現場に届くまでに時間がかかってしまいました。

結局、現場の役員に広瀬監督の指示が届いたのは、飯田怜選手が第3区の走者まで残り15mのところ。

そのまま第3区の走者にタスキを渡すことになったのです。

 

飯田怜選手2

 

広瀬監督は飯田怜選手の「ただごとではない状態」を察知して、棄権の判断をしていたんですね。

 

つづいて野口みずき選手にも棄権の判断をしたことがあるので、そのときのお話をお伝えします。

 

 

広瀬監督は過去に野口みずき選手にも棄権の判断をしていた

2004年アテネ五輪で金メダルを獲得した野口みずき選手。

輝かしい実績の持ち主です。

 

野口みずき2

 

野口みずき

2002年 名古屋国際女子マラソン優勝

2003年 大阪国際女子マラソン優勝(国内最高記録)

2003年 世界選手権パリ大会女子マラソン2位

2004年 アテネ五輪 女子マラソン優勝

2005年 ベルリンマラソン優勝(日本最高記録)

2007年 東京国際女子マラソン優勝

2008年 北京五輪の日本代表のコーチ担当


 

素晴らしいですね!

こんな超一流選手のコーチも広瀬監督は務めていました。

 

そして過去に一度、野口みずき選手がレース中にアクシデントが発生し、広瀬監督が棄権を指示したことがあります。

それは2013年の世界選手権モスクワ大会の女子マラソンでのできごと。

 

順調に走っていた野口みずき選手だったのですが、途中から徐々に様子が変わってきます。

走行がまっすぐではなく、フラフラになってきたんです。

熱中症による脱水症状で意識がもうろうとしてきた野口みずき選手。

 

そして29キロ地点で広瀬監督は野口みずき選手の走りを止めました。

「ふらふらになって、これはだめだ。まず止めなきゃと思った」

と広瀬監督。

 

野口みずき選手の体を守るためにレースを棄権しました。

 

ただじつはこの世界選手権モスクワ大会は、二人にとっては重要な位置づけの勝負のレースだったんです。

 

野口みずき選手がアテネ五輪以降、苦戦が続いていて、2003年以来10年ぶりにたどり着いた世界選手権。

 

この日のために野口みずき選手と広瀬監督は二人三脚で長い苦闘を乗り越えてきました。

 

広瀬監督と野口みずき1

 

でも広瀬監督は野口みずき選手を止めたのです。

 

このレース中止は、野口みずき選手にとっての初めての途中棄権。

そして広瀬監督にとってもはじめてランナーを止めさせた瞬間でした。

 

その後も苦戦がつづいた野口みずき選手でしたが、広瀬監督のつぎの言葉に支えられながら走り続けます。

「お前の最後を見届けるまで、おれは絶対に辞めない!」

 

結局2016年3月の名古屋ウィメンズが現役最後のレースとなった野口みずき選手。

「広瀬監督の言葉がうれしくて、支えになって・・・」

と最後の引退レースまで全力疾走しました。

 

野口みずき3

 

この現場主義、選手第一の指導が広瀬監督のカリスマでもあり、選手の心を熱くする力を持っているんでしょう。

 

まとめ

岩谷産業の広瀬監督の経歴について紹介しました。

また飯田怜選手を止めさせていた事実、そして野口みずき選手も棄権の判断をしたことがある話についてお伝えしました。

広瀬監督の人柄がにじみ出た話ですね。

ちょっと感動です。

 

今回のプリンセス駅伝は飯田怜選手が四つん這いになって進むというアクシデントが起きましたが、今後の大会の運営方法を見直す可能性がありますね。

引き続き広瀬監督と飯田怜選手の活躍と、野口みずき選手の今後のコーチとしての活躍を応援していきたいと思います。

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