2018年のドラフトでDeNAから外れ1位指名となった東洋大学の上茶谷大河(かみちゃたに たいが)投手(22歳)。
ヤクルトと指名が重複しましたが、見事DeNAがくじを引き当てました。
そして上茶谷大河投手はつぎのようにコメント。
「(DeNAは)よくテレビで見ていましたし、横浜スタジアムに応援に行ったこともある。
チームの雰囲気もすごく良かったので、この球団で野球がしたいと思いました。」
ラミレス監督からも「来年、11勝取れるように頑張って!」と英語メッセージ付きの交渉権カードを渡されました。
ちなみにDeNAはここ3年間のドラフト1位投手が合計で29勝あげています。
今年1位の上茶谷大河投手が11勝をあげると、4年間でトータル40勝になるわけです。
これはチームとしては素晴らしい実績になりますね!
上茶谷大河投手もラミレスからの期待に応えてやる気を見せています。
「先輩たちがルーキーから活躍している。自分もそれ以上の活躍で新人王をとりたい!」
といまから新人王を視野に入れて全力投球する意気込み!
DeNAに入団したらまずはハマの番長「三浦大輔コーチ」に弟子入りして
「コントロールを究極的に磨き上げたい。そこを三浦さんから学びたい」
とコメントしています。
そんな上茶谷大河投手ですが、早速いろいろなことが気になりますね。
「上茶谷大河投手のプロフィールってどうなんだろう?」
「上茶谷大河投手の高校・大学の成績は?」
「上茶谷大河投手の父親ってどんな人なんだろう?」
という感じで、上茶谷大河投手に関するいろいろな興味と疑問が出ています。
そうですよね。
DeNAドラフト1位投手ですから、上茶谷大河投手のことがちょっと気になりますよね。
そこで今回は「上茶谷大河投手のプロフィールや高校・大学の成績」について紹介しますね。
あと上茶谷大河投手の父親がどんな父親だったのかお伝えします。
この記事を読むことで、上茶谷大河投手のことについて、いまよりもっと詳しく知ることができますよ!
それでは行ってみましょう!
上茶谷大河投手のプロフィール
まずは上茶谷大河投手の簡単なプロフィールです。
上茶谷大河(かみちゃたに たいが)
- 1996年8月31日生まれの22歳。
- 京都府京都市
- 身長181cm、体重85kg
- 右投げ右打ちのピッチャー
学校は、「京都市立衣笠中学校 → 京都学園高等学校 → 東洋大学」と進学しています。
ちなみに野球は小学校1年生のときから開始。
それ以降ずっと野球一筋で来ています。
中学時代は「京都レッドベアーボーイズ」に所属して、高校は地元の京都学園に進学。
高校でも3年間野球に打ち込みました。
それでは上茶谷大河投手の高校以降の野球成績を見ていきましょう。
高校時代、大学時代と順番にお伝えしていきますね。
上茶谷大河投手の高校・大学の成績
上茶谷大河投手は京都学園に進学後、高校2年生の春からエースとして活躍します。
ただ上茶谷大河投手の高校時代の成績は、残念ながらあまり恵またものではありませんでした。
夏のセンバツ甲子園の京都府の予選会では、残念ながら初戦敗退。
初戦に先発したのですが、味方の打線の援護がもらえず0-1で敗戦投手となりました。
また高校3年生の夏も同様に初戦敗退。
中盤まで何とか持ちこたえたのですが、後半に8失点となり2-8で負け。
敗戦投手になってしまったのです。
結局、上茶谷大河投手は高校3年間を通じて甲子園に出場することは一度もありませんでした。
そして東洋大学に進学。
1年生の秋からリーグ戦に登板する機会はありましたが、大学3年生まで未勝利でした。
大学3年生のときは主にリリーフとして活躍。
全日本大学野球選手権でもリリーフで登板。
初戦の東海大学北海道キャンパス戦で無失点に抑えました。
大学3年生のときはトータルで3試合にリリーフで登板。
そしてその流れで大学4年生になると、上茶谷大河投手は春のリーグ戦で、開幕戦の先発を任されました。
その結果、見事に6安打16奪三振の完封勝利!
開幕投手の期待に大きく応えたのです。
また球速も大学3年生の冬にMAX145キロから、ひと冬でMAX150キロ台まで急成長。
この頃に実力をメキメキとつけてきたんですね!
さらに大学4年生の時に、駒大3回戦で1試合20奪三振を記録!
東都大学野球リーグの新記録を更新したんです!
こちらは20奪三振の試合の動画。
しかも初回からの8連続三振です。
そして上茶谷大河投手は大学4年生のときに、リーグ戦10勝を達成。
球速のMAXも151kmを記録!
最終的に上茶谷大河投手は4年生時代に、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナイン投手部門を受賞。
投手部門におけるタイトルを総なめしました!
こんな優秀な成績を収めてきた上茶谷大河投手。
小学校1年生の時から野球漬けできましたが、これはやはり父親の影響なのでしょうか?
ここからは上茶谷大河投手の父親について紹介しますね。
上茶谷大河投手の父親からの影響
上茶谷大河投手の実績の秘訣は抜群の制球力。
MAX151キロのストレートに4種類の変化球を織り交ぜて、三振の山を築いていきます。
そんな上茶谷大河投手のニックネームは「新ドクターK男」。
そしてその制球力の高さの理由は、小さいころからの父親の指導にあったのです。
上茶谷大河投手が野球を始めた小学校一年生の時から、自宅のガレージでネットスローをするのが日課でした。
とにかく「父親がうるさかった・・・」という話。
小さい頃からかなり厳しく父親からしごかれたようですね。
まさに平成の星飛雄馬(笑)
ただ父親の厳しい指導が甲斐あって、京都学園時代から制球力には自信があり「四球を連発するようなことはなかったです」と言っています。
DeNAから1位指名をもらえるようになったのも、当時の父親の厳しさのおかでかもしれませんね!
まとめ
上茶谷大河投手のプロフィールや高校・大学の成績について紹介しました。
また上茶谷大河投手の父親がどんな父親だったのかもお伝えしました。
高校時代は残念ながら実績に恵まれませんでしたが、大学4年生からメキメキと実力を現わして、見事にDeNAドラフト1位になりました。
高校である京都学園の先輩には沢村栄治投手がいるので、「将来は沢村賞を取れる投手になりたい」とも話している上茶谷大河投手。
1年目から活躍が楽しみですね!