6年連続箱根駅伝に出場している東海大学。
2019年の箱根駅伝で46回目の出場です。
すでに出雲駅伝は3連覇で合計4回の優勝。
そして全日本大学駅伝も優勝経験があります。
そんな駅伝の名門・東海大学を指揮しているのが両角速(もろずみ はやし)監督。
もともとは駅伝で有名な佐久長聖高等学校の監督を務めていました。
また佐久長聖高等学校の監督時代は、マラソン日本新記録を樹立した大迫傑(おおさこ すぐる)選手の恩師でもあります。
「両角速監督の経歴やプロフィールを知りたい!」
「両角速監督の佐久長聖高校時代のエピソードは?」
「両角速監督って大迫傑選手の恩師だったんだ」
そうですよね!
両角速監督の経歴とかいろいろなことに興味がありますよね!
そこで今回は「両角速監督の経歴・プロフィールと、佐久長聖では大迫傑の恩師だった」という話をお伝えします。
この記事を読むことによって、両角速監督のことをくわしく知ることができますよ!
それでは行ってみましょう!
両角速監督の経歴・プロフィール
まずはじめに両角速監督の簡単なプロフィールを紹介します。

(引用:インスタグラムより)
両角速(もろずみ はやし)
- 1966年7月5日生まれ
- 出身 長野県茅野市
両角速監督は長野県に生まれ、中学のときから陸上部に所属し、東海大学第三高等学校に進学(現在の東海大学付属諏訪高等学校)。
東海大三高ではかなり優秀な成績を残し、インターハイにも出場。
長距離ランナーとしての才能を発揮していました。
そして高校を卒業した後は東海大学体育学部へ進学。
東海大学では駅伝のエースとして活躍しました。
当時の名監督である新居利広監督の指導のもと、持って生まれた長距離の才能を活かし大学1年生から箱根駅伝に出場。
さらに大学4年生まで、4年連続で箱根駅伝を走りました。
大学を卒業した後は大学時代の経験を活かして、日産自動車、ダイエーの実業団として活躍します。
そして両角速監督に転機が訪れたのはダイエーに所属していた28歳のときです。
長野県にある佐久長聖高校の学長から監督の依頼を受けました。
「5年以内に全国高等学校駅伝大会に出場してくれないか」
両角速監督はじつは2年後にはアトランタオリンピックが控えており、かなり悩みます。
ただ以前から体育教師になる夢があったので、佐久長聖高校の監督を引き受けることにしたのです。
ところが佐久長聖高校はいまでこそ駅伝の名門ですが、当時の部員はたったの2名。
しかも練習をするためのグランドも最悪のコンディションでした。
グランドに埋蔵文化物が眠っていたので、平らにすることができなかったのです。
でも両角速監督は諦めず、グラウンドを工夫して1周600mのクロスカントリーコースを自分で作成。
練習できる環境を作り上げます。
さらに優秀な部員を集めるためにスカウト活動を地道に行い、将来有望な選手を呼び集めていったのです。
その結果、驚くことに監督就任当時2人しかいなかった駅伝部が、4年目にして全国高校駅伝に出場!
しかも4位の成績!
スゴすぎです!
しかも1回限りではなく、その後13年連続で全国高校駅伝に出場し12回入賞。
さらに14年目には全国優勝しました。
この話はのちの両角速監督の「伝説」として語り継がれています。
両角速監督はその後、自分の母校である東海大学の駅伝部の監督に就任。
本当は佐久長聖高校の監督を続けたかったのですが、東海大学からの強烈な依頼があり引き受けることに。
出雲駅伝では4回目の優勝、全日本大学駅伝も優勝。
箱根駅伝も優勝すれば、大学3大駅伝を制覇することになります。
両角速監督の指導力については、駅伝だけでなく、多くの人たちへ学びを与えています。
実際に両角速監督の著書はとても高い評価です。
「人間力」で闘う 佐久長聖高校駅伝部強さの理由
こちらは著書の感想です。
指導者の一人として読ませていただきました。参考になることが多数あり勉強になりました。
単に、陸上競技の成績だけに注目するだけで無く、活躍の陰には人しれない苦労があることを知り、まだまだ自分には苦労が足りないと感じました。
佐久長聖の生徒の活躍や卒業後の活躍には、何か伝統や環境に恵まれているからというような安易な思い込みを持っていました。
でも、この本を読めば、むしろ後発で恵まれない環境であったものを、様々な努力や工夫で乗り越えて驚異的な成果を出してきたことがわかります。
ところで両角速監督のエピソードがもう一つあります。
それは佐久長聖高校の監督時代に大迫傑選手を育てていたということです。
つづいては両角速監督と大迫傑選手についてお伝えします。
両角速監督は佐久長聖では大迫傑の恩師だった
大迫傑選手と言えば、シカゴマラソンで日本新記録を打ち出したマラソン選手。
じつはその大迫傑選手は両角速監督の指導を受けていた時期があったのです。
大迫傑選手は東京の町田市出身ですが、中学を卒業した後、佐久長聖高校に陸上留学していた時期があるんです。
両角速監督は当時中学3年生だった大迫傑選手に早々と目をつけてスカウト。
そのきっかけは大迫傑選手が出場した全国大会でした。
大迫傑選手は全国大会の結果で3位。
みごと表彰台に上ることができた大迫傑選手。
ところが大迫傑選手は、喜ぶどころか悔しさのあまり、レースで履いていたシューズを脱いで地面にたたきつけていたのです。
そんな悔しい思いを全面に出していた大迫傑選手を見て、両角速監督はただならぬものを感じたとのこと。
「トップへのこだわり」「必ず1位になる気迫」から大迫傑選手が将来大物になることを見越していたんでしょうね。
まとめ
両角速監督の経歴・プロフィールと、佐久長聖では大迫傑の恩師だったという話をお伝えしました。
佐久長聖高校を無名の高校から、全国の強豪に育成した伝説はいまでも語り継がれています。
その指導力と人を動かすマネジメント力は素晴らしいものがありますね。
両角速監督の今後のご活躍を応援していきたいと思います!
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