佐藤一哉の仕事や経歴がスゴい!芦屋の空手家で相撲には超厳格だった

佐藤一哉アイキャッチ

大相撲九州場所で、念願の初優勝となった小結の貴景勝関。

貴景勝関は22歳3ヶ月で優勝となりましたが、これは6場所制となってからは6番目のスピード優勝。

また初土俵からは26場所で優勝しており、これは曙に並ぶ大記録です。

素晴らしい力士が登場しましたね!

これからの相撲界を背負っていく期待の星の力士です。

こんな貴景勝関ですが、じつは父親の佐藤一哉さんのこれまでの指導があっての優勝なんです。

父親の佐藤一哉さんはかなり厳格な方で、小さい頃からの育て方が貴景勝関を一流の力士に育てたと言っても言い過ぎではないでしょう。

「佐藤一哉さんって相撲にはかなり厳格な人だったらしい」

「佐藤一哉さんって空手家なんだって?」

「佐藤一哉さんって芦屋に住んでるってホント?」

というように佐藤一哉さんに関する話題がSNSにたくさんあがっていました。

たしかにそうですよね。

貴景勝関の優勝の影には父親である佐藤一哉さんの幼い頃からの指導があったはずです。

そんな佐藤一哉さんのことが気になりますよね。

そこで今回は「佐藤一哉さんの経歴や仕事」と、「芦屋の空手家で相撲には超厳格だった」っていうお話をお伝えします。

この記事を読むことによって、佐藤一哉さんのことをくわしく知ることができますよ!

それでは行ってみましょう!

目次

佐藤一哉の経歴がスゴい!空手家で相撲には超厳格だった

父親の佐藤一哉さんはずっと極真空手をやっていました。

貴景勝関の父親なので、相撲をやっていたと思われがちですが違ったんですね。

また佐藤一哉さんの極真空手の実力はかなりのもので、極真空手の指導者も行なっています。

そんな佐藤一哉さんの影響もあり、貴景勝関は5歳から極真空手を始めました。

佐藤一哉2

そして佐藤一哉さんの指導によって、貴景勝関は極真空手の全国大会で準優勝。

全国的にもかなり強かったんですね。

ただ佐藤一哉さんから見ると、この「準優勝」はあまり納得のいかない結果でした。

なぜなら決勝戦で行われた最後の判定について、疑問が残るような内容だったからです。

この判定負けをきっかけに佐藤一哉さんは「判定のない格闘技」である相撲への転向を考えます。

もともと佐藤一哉さんは相撲が大好きだったとのこと。

また極真空手には「プロ」がないので、「プロ」がある相撲の方が将来のためにもなると考えたんです。

そして貴景勝関は小学校3年生から相撲に転向。

地元の相撲道場に通わせることになりました。

貴景勝関は生まれ持った格闘技の才能で、中学3年生には全国中学生相撲選手権大会に優勝。

中学生の横綱のタイトルを獲得。

何をやっても素晴らしい成績を残していた貴景勝関です。

ただ父親の佐藤一哉さんは貴景勝関には非常に厳しく、厳格な父親でした。

その1つのエピソードとして「佐藤一哉さんは小さい頃から絶対に泣くなと教育していた」という話があります。

「泣きたい時に泣くというのは感情を抑えられていない」

「泣くのを我慢することが辛抱することにつながると思っている」

「男たるものは!」という厳しい指導をしていたんですね。

貴景勝関自身もテレビのインタビューで父親の佐藤一哉さんのことをつぎのように話しています。

「普段は優しいお父さんですが相撲の異なるとかなり厳しかった」

とにかく父親については「とても怖かった」という話です。

ちなみに貴景勝関の本名は「佐藤貴信」。

「貴信」の「貴」は当時の横綱だった貴乃花から一字とったもの。

そして「信」は織田信長の「信」を入れています。

佐藤一哉1

佐藤一哉さんの話では「男に生まれたからには、天下を取らないとダメだ」という強い思いが込められているとのことです。

こういった厳しい指導や想いと、それに耐えてきた貴景勝関の努力があっての今回の優勝なんですね。

こんな佐藤一哉さんですが、お仕事はどんな事をしているのでしょうか?

また住まいはどちらなんでしょうか?

つづいて佐藤一哉さんの仕事や芦屋の実家についてお伝えしますね。

佐藤一哉の仕事と芦屋の実家

佐藤一哉さんは保育園の経営者をしています。

いわゆる実業家ですね。

極真空手の指導者でもあり、自分にも厳しい佐藤一哉さんなので、経営者に向いているのでしょう。

また経営者だけにそれなりの所得もあるようですね。

家は兵庫県の芦屋です。

芦屋というと関西の方はご存知かと思いますが、いわゆる「高級住宅街」。

東京でいう「田園調布」のようなエリアです。

起業家や経営者、医者や弁護士などの高所得者が多い住宅街。

佐藤一哉さんも男としてしっかり稼いでいるのでしょう。

素晴らしいですね!

また貴景勝関を力士に育てるために、かなりの食費を投入してきたようです。

  • 牛乳は1日2リットル
  • 炭酸飲料やインスタント食品は禁止
  • 吉野家では特盛牛丼3杯
  • マクドナルドではLサイズポテト4個、メガマック4個
  • びっくりドンキーでは450グラムハンバーグ3枚

佐藤一哉さんがこの辺りの食事管理を徹底していました。

かなり「ガッツリ」食べさせていますね。

また佐藤一哉さんは息子が将来立派な力士になってほしかったので、スーパーで肉を毎日大量に買っていました。

その肉の量は毎日約1キロ!

毎日5パックの肉を買っていたのです。

なのでスーパーの店員さんから「ライオンを飼っているんですか?」と聞かれたというエピソードもあるぐらいです。

そんな感じだったので佐藤一哉さんの家の1ヶ月の食費は30万円!

これも体作りのための投資だったんでしょう。

まとめ

佐藤一哉さんの経歴や仕事と、芦屋の空手家で相撲には超厳格な父親だったというお話をお伝えしました。

相撲に関してはかなり厳しくスパルタで指導した佐藤一哉さん。

だからこそ若くして貴景勝関が優勝することができたんでしょうね。

今後も貴景勝関の!

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