赤いランニングシャツがトレードマークの帝京大学。
1998年に箱根駅伝に出場してから2019年で20回目の出場となりました。
過去の最高順位は4位が2回。
そんな帝京大学の主将としてチームを支えている竹下凱(たけした かい)選手。
力強い走りで帝京大学の柱となっています。
竹下凱選手は帝京大学の駅伝チームのエースではありますが、じつは高校時代はサッカー部だったんです。
ちょっと驚きですね!
「竹下凱選手の中学や高校時代を知りたい!」
「竹下凱選手の実績やプロフィールは?」
「竹下凱選手の大学卒業後の進路はどこ?」
竹下凱選手について、やっぱりいろいろ興味がありますよね!
高校までサッカーをやっていたのに、大学に駅伝のエースになってしまうなんて才能を感じます。
そこで今回は「竹下凱選手の中学・高校や実績・経歴プロフィールと卒業後の進路」についてお伝えします。
この記事を読むことによって、竹下凱選手のことをくわしく知ることができますよ!
それでは行ってみましょう!
竹下凱選手の中学・高校や実績・経歴プロフィール
まずはじめに竹下凱選手の簡単なプロフィールを紹介します。
竹下凱(たけした かい)
- 1996年9月 4日生まれ
- 出身 静岡県静岡市
- 身長 168cm
- 体重 51kg
- 血液型 A型
竹下凱選手は地元にある静岡県静岡市の常葉学園橘中学校に進学します。
そしてそのまま同じ学園の常葉学園橘高校に進学。
いわゆる中高一貫の6年生の学園ですね。
大学駅伝に出場するような陸上選手は、早ければ中学のときから陸上部で活躍していることが多いです。
また遅くても高校のときはすでに陸上部で駅伝をしていて、全国に名前が知れ渡るような記録を残している選手が多いですね。
ところが竹下凱選手は何と意外にも、高校生2年生までサッカー部に所属していました。
ポジションはDFサイドバック。
箱根駅伝を走っている竹下凱選手からは想像もつきませんね。
そして竹下凱選手は高校2年生の6月までサッカーをやり、その後陸上部に移ります。
理由は、竹下凱選手はもともと「長距離ランナーとしての素質」があったからです。
じつは竹下凱選手は中学のときに全学年合同マラソン大会で3連覇しています。
その足の速さと持久力が買われて陸上部から声がかかったのでしょう。
実際に陸上部に移ってから、都道府県駅伝に出場して4区4位の成績を残しました。
その後竹下凱選手は常葉学園橘高校を卒業して、帝京大学医療技術学部に進学。
元サッカー部だった竹下凱選手は、人よりも駅伝歴が短いだけに地道な努力を続け、駅伝チームのエースとなりました。
もともと長距離の才能があったのでしょう。
2016年には世界学生クロスカントリーに出場。
激走の結果、日本の銀メダル獲得に貢献しました。
ちなみに竹下凱選手は、駅伝では比較的前半の区間を走ることが多いです。
2018年の全日本大学駅伝では1区を走って2位。
「流れを決める区間なので1区を走りたい。タイムよりも順位にこだわる」
と竹下凱選手はコメント。
チーム優勝のためにスタートダッシュを決めています。
以下は竹下凱選手の3大駅伝の成績です。
1年生
全日本大学駅伝 3区12位(2015年)
2年生
全日本大学駅伝 1区12位(2016年)
箱根駅伝 1区7位(2017年)
3年生
全日本大学駅伝 2区11位(2017年)
箱根駅伝 4区7位(2018年)
4年生
全日本大学駅伝 1区2位(2018年)
そして竹下凱選手の自己記録のタイムです。
- 5,000メートル 14分3秒89(大学2年生)
- 10,000メートル 29分9秒66(大学3年生)
ところで竹下凱選手の帝京大学卒業後の進路が気になりますよね。
つづいては竹下凱選手の卒業後の進路についてお伝えします。
竹下凱選手の卒業後の進路は?
竹下凱選手の大学卒業後の進路は「SGホールディングス」です。
SGホールディングスは、佐川急便の持ち株会社にあたります。
現在長距離の選手としては、
- 菊地貴文選手(主将)
- 飯沼健太選手
- 松田佑太選手
- 橋爪孝安選手
- 塚田空選手
- 南雲翔太選手
で構成されています。
関西実業団駅伝の優勝や、ニューイヤー駅伝への入賞を目標とし、マラソン選手の育成に注力しているチームです。
まとめ
竹下凱選手の中学・高校や実績・経歴プロフィールと卒業後の進路についてお伝えしました。
高校まではサッカー部をやっていた竹下凱選手。
もともと長距離ランナーとして、優れた才能を持っていたんですね。
竹下凱選手のこれからのますますのご活躍を応援していきたいと思います!