永遠のロックンローラー内田裕也さんが、若い頃に矢沢永吉さんをボコボコに殴ったという伝説があります。
矢沢永吉さんには熱狂的なファンが多く、ファンの間では都市伝説のように語り継がれています。
いったいなんで内田裕也さんは、矢沢永吉さんをボコボコに殴ったのでしょうか?
「内田裕也の矢沢永吉ボコボコ伝説」の真相に迫ってみましょう!
内田裕也に矢沢永吉がプロデュースを依頼
内田裕也さんは日本のロック界を作り上げたと言われるほどの伝説の先駆者。
内田裕也さんはすでにお亡くなりになったので、内田裕也さんの若き頃の伝説を知っている人は少ないと思います。
1960年代後半から1970年代にかけての話なので、当時の映像もあまり残っていないですし・・・。
そんな内田裕也さんは、当時の日本のロックンローラーを発掘するためにプロデュース業もやっていました。

(若き日の内田裕也)
1970年代に大人気だった沢田研二さんも、じつは内田裕也さんのプロデュースによって成功しています。
今ではAKBグループの秋元康さんのように音楽プロデュースを行って、誰かをデビューさせるのは当たり前の話。
でも当時は「誰かをプロデュースさせる」っていう発想がまだ斬新なやり方でした。
デビュー当時の矢沢永吉
矢沢永吉さんは当時「キャロル」というバンドでデビューしていました。
でもデビュー当時は全くの無名で、自らプロデューサーを探しているような状態。
そんな中、人伝いで内田裕也さんに会うことができ、自分たちのプロデュースをお願いすることに。

(若き日の矢沢永吉)
おそらく矢沢永吉さんとキャロルのメンバーで内田裕也さんに頭を下げに行ったのでしょう。
「俺を男にしてください!」
矢沢永吉さんは内田裕也さんにプロデュースを依頼。
矢沢永吉さんが頭を下げてお願いするぐらいなので、内田裕也さんの当時の影響力はハンパなかったんだと思います。
と、ここまでは別に普通の話なのですが、この後の矢沢永吉さんの行動で「ボコボコ伝説」が生まれることに・・・。
内田裕也が矢沢永吉に激怒でボコボコ
矢沢永吉さんの熱意にひかれて「プロデュースの依頼」を引き受けた内田裕也さん。
当時、内田裕也さんのところにプロデュースのお願いに来るバンドはたくさんあったようです。
その中でも「無名」の矢沢永吉さんを選んだのは、内田裕也さんが「矢沢永吉さんの将来性」を見込んでのことだと思います。
やっぱり矢沢永吉さんの「俺を男にしてください!」の一言が効いたのでしょう!

(若き日の矢沢永吉)
プロデュースを決意した内田裕也さんも
「いまは無名でも将来性のある若者の面倒を見てやろう!」
っていう男気を感じます!
プロデュースの話が流れてしまう
こんな感じで内田裕也さんは、矢沢永吉さんのプロデュースをする方向で進んでいました。
ところがその後、矢沢永吉さんの「キャロル」のメンバーが変わることに。
と当時に「キャロル」をプロデュースするのは、なんと内田裕也さんではない別の方に変更!
矢沢永吉さん自らお願いした「内田裕也さんへのプロデュース依頼の話」を流して、別のプロデューサーとタッグを組むことになりました。
これに対して内田裕也さんは「冗談じゃねえよ!」と超激怒!
せっかく矢沢永吉さんの熱意にひかれてプロデュースを引き受けたのに裏切られた気持ちになったのでしょう。
しかも無名の若者に手を差し伸べたのに、矢沢永吉さんの方から断ってきたことにかなり腹を立てました。
当然ですね。
ロックンローラーの内田裕也さんは、「矢沢永吉をボコボコに殴ってやろう!」と思い、焼肉屋に呼びつけました。
この辺の行動が「ロックンローラー」っぽくていいですね(笑)
矢沢永吉が内田裕也に「俺を殴ってください!」
矢沢永吉さんを呼びつけた焼肉屋で、内田裕也さんは矢沢永吉さんをぶん殴ってやる気マンマンの状態。
「冗談じゃねぇよ、お前らが『ヨロシク』って来たんだろ!」
と言ってボコボコにしてやるつもりでした。
ところが矢沢永吉さんは、内田裕也さんの想定外の行動に出たんです。
矢沢永吉さんは内田裕也さんの前で正座して
「自分が悪いので、1発もらえますか!」
と熱意をもって詫びて土下座しました。
まさかの矢沢永吉さんからの謝罪を受けて、内田裕也さんは逆に矢沢永吉さんを認めることに。
内田裕也さんは当時のことを振り返って
ここで「負けた」と思ったね。「こいつイケるな、大スターになるな」って
と矢沢永吉さんのことを話しています。
結局このエピソードでは、焼肉屋で内田裕也さんが矢沢永吉さんをボコボコに殴ったのかは明かされていません。
ただこの2人のやりとりからして、おそらく内田裕也さんは矢沢永吉さんを「誠意を込めて」一発殴ったのではないかと思います。
矢沢永吉さんも殴られないと気が済まなかったでしょうし、内田裕也さんも激励の意味を込めてあえて殴ったはずです。
まさにロックンローラーの世界!シェキナベイベー!
内田裕也と矢沢永吉が若いころ
結局内田裕也さんと矢沢永吉さんは、1970年代のロック界の先輩後輩としてお互いを尊重しあう関係になりました。
当時の日本のロックをリードしたメンバーです。
こちらに当時の貴重な動画があります。
内田裕也33才、矢沢永吉23才、桑名正博20才が審査員としてコメントしています。
矢沢永吉23才
桑名正博20才
内田裕也33才司会
かまやつひろし34才
ビーバー25才(モコ・ビーバー・オリーブ) pic.twitter.com/2en3CwfQkc— powderblue (のんダー) (@janida1984) 2019年3月18日
かなり時代を感じますね(笑)

(矢沢永吉)
ただこの様子を見ると、内田裕也さんは大御所で、矢沢永吉さんは先輩を立てている後輩感が出ています。

(内田裕也)
二人はとてもいい関係を築いていたようです。
さらにもう一つ内田裕也さんと矢沢永吉さんが若かったころのエピソードがあります。
まだ若かった頃の矢沢永吉さんが女性を連れてBARに行ったら内田裕也さんがいました。
ただ彼女の前で、先輩後輩の関係を出してペコペコするわけにいかない矢沢永吉さん。
内田裕也さんに小声で「先輩、ここはカッコつけさせてください」とお願い。
結局内田裕也さんは、店内にいる間は後輩である矢沢永吉さんを立てて店内を闊歩させたという話。
なかなかカッコいいし、時代を感じますね!
そんな内田裕也さんが亡くなられた時に矢沢永吉さんはつぎのようにコメント。
「裕也さんがいなくなるってさみしいですね。じいさんになっても、よぼよぼになっても、もっと生きてほしかったです。心よりご冥福をお祈りいたします」
お二人の関係が伝わってくるコメントです。
まとめ
内田裕也さんが矢沢永吉さんのことをボコボコにしたという伝説の真相についてお伝えしました。
最初はプロデューサー変更というトラブルからはじまった二人。
2人ともロックンローラー魂を持っている者同士なので、もともと何か通じ合うものがあったんだと思います。
内田裕也さんと矢沢永吉さんの伝説は、これからも語り継がれていくでしょう!